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おんな城主直虎 4/9日放送回・徳政令の行方~女城主の領地の治め方

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瀬戸村、祝田村の百姓たちが、蜂前神社の禰宜(ねぎ)に相談して、井伊家と飛び越えて今川家に徳政令のお願いを持っていったことを、瀬戸方久(ムロツヨシ)の部下の弥吉(蔵本康文)が知らせます。瀬戸村と祝田村は、井伊家よりも今川家の支配下になることを選びました。

それを聞いた方久は、「民の訴えを隠れみのにした、小野但馬守政次様(高橋一生)の乗っ取りなのでは?」と直虎に告げます。

一方、政次は、直虎が方久にしの(貫地谷しほり)やなつ(山口紗弥加)、新野の娘のあやめ(光浦靖子)の所領を渡すことを話していました。方久に借金があるので、方久の機嫌を取ったんだと説明します。聞いていなかったしのたちは、怒り狂います。そして、政次に後見を任せてもらえれば、かならず村は返すと約束しました。

数日後、今川家からの徳政令の下知を政次の所に持ってきます。どうも、裏では政次が糸を引いているようでした。

直虎と方久は、今川家の仮名目録(先々代が書き残した政治マニュアル)に載ってるある掟を使った作戦を考えて、南渓和尚に相談しました。それは瀬戸村と祝田村を龍潭寺に寄進するということでした。領主(守護)は寺院には手出しをしてはいけないと言う掟を使う作戦でした。

翌日、中野直之(矢本悠馬)と奥山六左衛門(田中美央)がやってきます。方久の士官の話を白紙に戻さないと領主として認めない、虎松の後見は政次に頼むと言いだします。そこに、徳政令をだせという下知を持った政次がやってきます。政次は直虎に徳政令の発布を促しますが、側にいた方久が「私が所有するのは風当たりが強いので、龍潭寺に寄進してしまいました」と話します。

それを聞いて、仮名目録をみた政次は「今川のお沙汰をはねのけるのですか。なるほど、それでは駿府にそう伝えます」といいすてて帰っていきました。


残った直之と六左衛門は、怒り出しますが、直虎は、「方久に土地を預けるのは、これからの井伊のためじゃ。今の井伊には金も人間もおらぬ。裸一貫からのし上がった方久の新しいやり方がいるのじゃ」と言います。直之は怒りますが六左衛門は直虎の言葉が心に響いたようでした。二人は、村を返さないと認めないと言って帰っていきます。

政次は、次の指令を蜂前神社の禰宜(ダンカン)に伝えます。禰宜は、百姓たちをあおって方久を襲えと指示しました。方久は百姓達に誘拐されて八助(山中崇)というものが手紙を直虎に持ってきます。その手紙には、「徳政令を受け入れるという手紙を蜂前神社に届けろ、さもないと方久の命はない」と書かれていました。

直虎は、瀬戸村と祝田村に行きました。しかし、誰もいませんでした。「逃散(ちょうさん)」と呼ばれる百姓の抗議行動でした。戻ってきた直虎は、要求を受け入れるという手紙を書き始めました。そこに、一匹の亀が歩いてきて手紙の上に乗りました。

逃散(ちょうさん)という言葉を久しぶりにききました。学生時代の歴史の授業以来でしょうか?話はそれますが、上皇という言葉がにわかに何百年ぶり?に登場して現実味を帯びてきているので、今後、逃散(ちょうさん)という言葉もまた復活するかも?と思ったりしました。

逃散(ちょうさん)という言葉は復活しないでも国民が重税に根をあげてデモなどが活発化するかもしれません。

直親のことを思い出した直虎は、再び瀬戸村に行きました。そこで稲の苗を見つけました。もう、植えなくてはならないくらいに成長していました。蜂前神社にこもってる百姓たちも稲の苗のこと気が気ではないようで、不安になるものも現れました。

直虎は自分の所の百姓と僧侶たちをつれて瀬戸村に行って田植えを始めました。それを見ていた瀬戸村の百姓が仲間の所に伝えに行って、百姓たちを連れてきました。

百姓たちを見つけた直虎は、方久にまかせた理由、借金の猶予と新しい産業の構築を説明します。すると、「もっと早く言ってくれればよかったのに」と言って田植えを始めました。甚平(山本学)も土下座をして謝りました。

隠れて聞いていた六左衛門も感動して、田んぼの中に入っていきました。転びながら、「それがしは、父からも愛想を尽かされるほどの出来損ないです。ゆえに、せめて、苗の植え方ぐらいはこれからの井伊のためにおぼえとうございます」と言って植えだしました。

その姿を遠くから見ている政次と禰宜がいました。井伊家では、祐椿尼(財前直美)が自分の所領をしのとなつのあやめに分け与えることを告げますが、しのだけは納得しませんでした。

一方、駿府では、寿桂尼が、二度までも逆らった直虎を謝りに来させろと政次に命令しました。

今回の直虎の最大の見どころは女城主直虎の領地の治め方ではないか?と思いました。

女城主ということで戦国時代の女城主はさぞかしなめられていた、と思われます。井伊一族や家臣などにも現状相当なめられています。そこを女性ならではの気くばりで乗り切ろうとしています。農民と領主といえども話し合いは重要でした。今の時代にも通じているかも知れません。

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